Aug 23, 2015

日常と非日常のあいだ

急にとれた夏休み。
ふらっと7日間の沖縄・八重山の旅の記録。
会ってくれたみなさん、ありがとうございました。


美ら海水族館。4度目の年パス更新。
くらげコーナーができてた。



オオイカリナマコ。奥武島といえばこれしか紹介するものがなかったのを思い出す。

ブサ可愛い。

混んでいるからここは素通り。冬の閉館前が最高。

砂辺にて。
タンクを取りに行っていたお店の5Fでヨガ教室にいったんだけど、
水平線を眺めながらのひさびさのヨガは最高に気持ちが良くて、
時折響くジェット機の轟音が、非常に沖縄らしいカオス感があった。

石垣着陸直前。夕刻のフライトは最高。

白保に最近できた女性専用ゲストハウス。いい感じの雰囲気だった。
一人旅の女性2人と集落の居酒屋さんに行ったのがとてもよかった。
全然別の仕事している人たちで、みんな大変なんだなと。
組織の名前ではなく、どんな人なのかを語るには何も無さすぎた。



沖縄に7年居て、一度も食べたことのなかった"アダン"。
これはサラダで、別にチャンプルーも食べた。食感はたけのこに近い。
えぐみとかなかったから、相当下ごしらえしてあるのだと思う。


カーリーフライ。
カールしてあるだけで美味しく感じるのはなぜ。


成田へ戻る途中。
トラブルあって、夕方のフライトになったけど、いい夕空が見れて良かった。


大きな虹みたいに見えた。

とても"内地らしい"風景だと思う。


意外と写真撮っていなかったので枚数が少なかった。
4ヶ月しか経っていないので、あまり何も変わっていなかったし
非日常なはずなのに、なぜかとても普通な日常感がありました。

石垣のダイビングの記録は、また別の記事で。

突然連絡したのに、会ってくれた方、
突然なのに石垣マンタ旅行一緒に行ってくれた二人、ありがとう。
東京くるときにはぜひ声かけてくださいな。

Jul 27, 2015

したまちさんぽ

気になる寿司屋


目の病にきくらしい

めめ絵馬



かみさまのいる街に住みたい

ラジオ体操っていいよね。

こうあると行きたくなるのがひとのさが






黄昏時は無敵




七福神廻りたい。


OLYMPUS PEN Lite E-PL5, M.Zuiko 17mm f1.8

Mar 19, 2015

7年間かけて、琉球大学・大学院を卒業しました


こんにちは。2015年最初の記事ですね。

年が明けてから、修論をまとめ、最終発表し、卒業旅行に行っていました。
そして今日、修士課程の修了式でした。

そこで、書いてみたいとずっと思っていた卒業ブログを投稿します。今振り返らないとわすれてしまうからね。
無事に琉球大学の、大学院 理工学研究科 海洋自然科学専攻を修了することができたので、ざっと箇条書きで振り返ってみます。


*この大学に来た理由。

学部は 理学部 海洋自然科 化学系
-後期入試がセンター入試だけで確実そう
-本当は化学は苦手で分子生物の勉強がしたかったので、2年次に専攻を変更し生物系に行ける仕組みが好都合だった
-1人暮らしできるし、暖かくて楽しそう

受験を決めたのは12月頃、第一志望校に落ちて、こっちに受かったので入学。入ってみて海洋自然科の学生は、
①県内唯一の理学部に進学した、県内出身の学生
②どうしても海の生き物の勉強がしたかった、全国の学生
③他大学や医学部の滑り止めとして受験し進学した学生
の三つくらいに分けられるようでした。
私は③。とくにこれがしたい!ということも入学当時はあまり無かった。

大学・大学院での7年間を

*学部1-3年:ダイビングに熱中

*学部4年:学生会議と卒研と引きこもり

*院1-3年:研究と留学と就活


の3つに分けて振り返ってみます。

*学部1-3年:ダイビングサークル8割:バイト2割:授業 0.1割な生活


1年
-4月末に、ダイビングサークル Amantes del Marに入り、ダイビングにハマる
-5月にライセンスとって、それから週末2日と、平日に海に通う
-授業が面白くなくて、サボりがちになる
-ダイビングにお金がかかるようになったので、バイトも週4でする
-大浦湾でのリーフチェックをきっかけに、サンゴの研究者になろうと考える
-国連大学グローバルセミナーに参加し、国際的な環境で働きたいとも思う

2年
-結局、生物系の授業はマニアックな沖縄の生き物の話が多いように思えて、化学系に進学
-でも学校にはさらに行かなくなったので、後期は4単位しかとれなかった
-ダイビングサークルの幹部になるが、一部の同期と上手くいかなくなる
-このころいろいろ必死だったので、秋頃体調崩した

3年
-平日潜るのだけが楽しみだった
-南太平洋大学への交換留学を試みるもTOEFL足りなくて失敗
-冬前にダイビング引退。ストレス溜まっていて、心身の調子も悪かった。
-引退後は、空白の時間になってしまい、引きこもりがちに。
-2年で落とした必修をもういちど落としそうになって、先生に泣きついてなんとか留年回避

いろんなことをバランス良くやりたいと思っていたけれど、だんだんとサークル中心の生活で、ダイビングに夢中な生活になっていった。初めて、何か一つのことに熱中して、周りが見えなくなるほど必死になれた。潜るのは楽しかったし、サークルメンバーの"安全"みたいな事が絡んでいたから、厳しかった。結果、組織の中でも中心的な役割を担うことになって、苦労は多かったけど、夢中になればそういうポジションも出来るんだと分かったことは、ひとつ大きかった。単位とかお金とか健康とか、払った対価は大きかった。

「夢中は無敵、でも対価はそれなりにかかる」

 *学部4年:日米学生会議6割:卒研1割:引きこもり3割の生活


何か違うことがしたくなり、前期に「日米学生会議」に参加した。日米学生会議は、日米の学生70人が約1ヶ月間国内を回って、様々な経験をしながら、"英語で"議論する学生会議。7-8月の4週間と事前準備にけっこう時間とエネルギーを割いた。

会議:
-本当に優秀な参加者が多く、一番英語ができなかったのでしんどかった
-他大学とアメリカ人と、沖縄の社会人の友達が増えた
-日本旅行ができた
-賢い人は本当に賢いことがよく分かった
-その中で、自分なりの価値を出していくには何をすべきかを必死で考えた
-LGBTsについて、身近な範囲で詳しくなった

卒業研究と引きこもり:
-化学系でサンゴの勉強が出来る希望の研究室に配属される
-9月から研究に本格復帰して最初は楽しかったけど、1回しか出来ない実験で、仮説と逆の結果がでたところからつまづく
-11月くらいから、いろいろ理由が重なって引きこもり、2月まで週に1回、1時間くらいだけなんとか登校する
-1月に心療内科にお世話になり、いわゆる"新型うつ"判定される
-卒業必須要件の発表だけなんとか立たせてもらい、卒業させてもらう

日米学生会議は熱中できた経験その2になり、振り返ればすごく背伸びしていたけれど得たものも大きかった。よくできる人はほんとうによくできる。グループの一員として意味ある存在になるために、どう自分に価値をつけていけるかが大切、というのが分かったのが大きい。具体的な行動に落とすと結局、自分の意見は表明する、ということだけになったけど。沖縄で私が見て考えて来たことは、意外とユニークらしく、琉球大学生であることがだんだん好きになってきた。

会議で背伸びした反動か、これまで勉強しなすぎたせいか、卒研は人生で一番つまづいた経験になった。積み重ねが無いと折れるのは簡単だった。次の進路が決まっていたこと、気にかけてくれる先輩がいたことで、卒業させてもらえた。研究は向いてないと思ったので、研究者になるのはやめた。

「25年の人生で、最大のUP&DOWN」


*大学院 1-3年:研究と勉強7割:遊び2割:就活1割


卒論が残念なかたちで終わったので、進学前に休学か他大学へ進路変更か1ヶ月ほど迷って、結局そのまま合格していた琉球大学院理工学研究科海洋自然科学専攻に進学。生物学・生態学双方の視点からサンゴ礁生物を研究する研究室に所属した。卒論がまったく上手くいかなかったので不安が大きく、まずは安定した生活を送ることを目標にした。


野外調査と飼育実験:
-石垣や沖縄本島やパラオで、ダイビングしながら調査をして、普通では潜れない場所にも行けた
-サンゴを飼育しながらする実験をして、サンゴの産卵も見れた!
-プロジェクトに関わって、いろいろな機関・立場の人と関わりながら研究できたのは面白かった
-理想としていた"野外の現状と検証実験をつなげる"研究がかたちだけでもできたのは満足

ハワイ大学留学:
-修士2年の7月から12月までの半年間、念願の留学に行かせてもらった
-道具として使いたくて勉強してきた英語は、学部レベルの授業にも全然足りてなかった
-ハワイの沖縄コミュニティに関わって、沖縄で過ごしたことが自分らしさのひとつになっているなと気付く
-仲良くしてもらったベトナム移民2世の友人とその家族の生活とか考え方がとても興味深かった

プライベート:
-生活も精神的にもかなり安定した。おそろしくおちついた性格の人と付合えたのがかなり大きかったと思う
-あんまり期待とかされず自由になんでもできたこと、日々話しのできる周囲の人間関係を作っていけたのも、精神的に安定した理由のひとつ
-留学や授業、旅行でいろいろお得に海外に行けた。(アメリカ・ハワイ、韓国、台湾、パラオ、タンザニア)

就職活動:
-国際的な環境で、環境問題に関わる仕事がしたかったので、政府開発援助(ODA)に携わる「開発コンサルタント」を目指した
-関連業界の15社くらい受けて2社内々定を頂いたけど、説明会や面接・懇親会で、女性が結婚・出産しても続けられる業界では無いと感じて、諦める
-別に受けていた研究開発機関(独立行政法人、非研究職)から内々定を頂いたので、そちらで働く予定
-就活では、これまで"面白そうか?"という基準だけで物事を決めてきたのを、基準を変えて"長く続けられるか"で最終的に決めた
-挑戦とか面白さから、安定することに方向転換したのは、大きな決断だった。

修論執筆時期:
-"自主自律"して研究を進めることの難しさを知る
-結局、論文は100%納得するかたちでは書き上げられず、最後の2週間はあまり生産的じゃないことで5年分くらい泣いた気がする。
-研究が得意でないなら、適切なステップを踏んで積み上げないと、最後までたどり着けないと知る
-上手く進んでなくても、変わらず明るく接してくれる先生で本当に助かった

精神的に安定することを第一においていたので、それまでに比べて割とイージーモードな3年間だった。いろいろ面白いこと経験できたし、満足のいく就職先にも出会えたけれど、何事にも夢中になりきれなくて、もっと出来たんじゃないかと思うこととか後悔もある。研究生活の満足度は75%。"楽しむ"ことはできたけど、最終的に成果だすところで満足いくものを作っていけなかったのが残念。実験や調査を組み立ててデータをだすところまではできたけど、それを整理し言語化してまとめていく過程については、議論をするステップをきちんと踏んでこれなかったので、最後まで自力でたどり着けなかった感覚がある。"自主性"という言葉は厳しい。

「求めよ、さらば与えられん」


まとめ:大学・大学院で学んだこと

          「いろいろな人がいて、いろいろな生き方がある


いろいろな経験をしたり、いろいろな場に関わって、高校までとは比べられないほど様々に異なる生き方考え方をした人に出会えた。
自分や他人が、比べて劣っていたり、すごくよくできるように見えてもそれは、"異なっている、different" なだけなんだ、ということが感覚的に少しずつ分かるようになったと思う。もちろん、上を見ても下を見てもキリが無いことはたくさんあるので、そのなかで自分なりの価値をだしていったり、立ち位置をもっていけるようにしていきたい。それから、いろいろな人がいるなかでも、ある程度周りに合わせつつ、無理しすぎないペースを早く掴めるようになりたい。


なんていうことを、最近考えていました。
もう1週間ほど沖縄に滞在して旅立ちます。

ではまた!